こんなのなかった!!格安レンタカーのご紹介


新城島

新城島(あらぐすくじま)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
<sponsedlink>
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

新城島(あらぐすくじま)は、八重山郡竹富町にある島です。

★新城島あれこれ★

周囲6.22キロ 面積1.76平方キロの上地島 同4.83キロ、1.55平方キロの下地島 2つの島の間は、直線で約400メートル。 大潮の干潮時はリーフ伝いに歩いて渡れるが、普段はボートで移動する。 現在、下地島は牧場となっており、無人に近い状態。 人々の生活の基本は上地島で、自給自足の生活を送っている。周辺の海はブダイやタコ、貝類など資源は豊富で、かつてはジュゴンも生息していた。その昔、この島にはカタツムリの粘液などを利用して焼いた八重山唯一の焼き物「パナリ焼」があったが、詳しい時代や技術については記録が残ってなく、現物もほとんどない。 八重山諸島の中の一つであるけれど、西表島や竹富島などほどは観光化されていない島です。 新城島は、上地島と下地島に分かれていて、2つの島を合わせて新城島と言います。 こちらの方言で、「離れている」と言うことを「パナリ」といいます。 それで、新城島を「パナリ島」と呼ぶ人もいます。そして、この島は西表石垣国立公園に含まれます。 2つの島の距離は約420m。深さ4mほどの浅い水域で、干潮の時には歩いて渡ることもできます。 が、以前カヌーでの死亡事故もあり、波の高い時には無理をしてわたらないほうがよさそうです。

今では学校はありませんが、上地島の小学生は遠足で下地島に渡り、下地の児童とバレーボールなどして遊んだといいます。
1939年ごろから西表南風見への強制移住が始まり、過疎の島へと急速に進んだ。1975年、西表島からの海底送水がスタート、水道施設が完備されたが、それまでは「水のない島」として天水の利用を余儀なくされ、時には西表島まで水をくみに行くこともあったという。島の家屋には今でも水をためるタンクが残り、当時をしのばせる。電気は1988年、西表島からの海底送電が実現、24時間点灯が可能となりました。


★人口★


かつては最盛期には700人もの人が住んでいたといわれていますが、現在は数人が暮らすのみとなっています。全人口で10名弱なので、もちろん学校はありません。
しかし、年に何回か行われる行事の際は、島出身者が多数里帰りをします。
島内には立ち入り禁止の神聖な場所が多いので、観光する場合は気をつけなければいけません。
現在は両島ともに定期船は無く、石垣島など周辺の島からのツアーに参加するしかありません。

★アクセス★

石垣島、黒島、小浜島、西表島などから出ているパナリ上陸ツアーなどに参加する。 値段は、出発地やツアーの内容によって様々ですが、5000~10000円程度。 一般的にはほとんどが上地島に上陸するツアー。 この島の人口は、2007年現在、10人。島民の中には一年中居住していない人もいるとのことで、実際の住民はもっと少ないそうです。 また、石垣島のフェリー安栄観光によると、島に行く人が五人以上いれば、西表島行きのフェリーが新城まで寄ってくれるという。


★島の周辺施設★


島には、観光施設などは何も無く、金融機関や郵便局もありません。
下地島は、パナリ牧場の所有者の私有地のようになっていて、特に見るものなどはないようです。
上地島は昔は小学校もありましたが、今では子供もいなくて少し寂しい感じです。
森と、誰も住んでいない沖縄の家が並んでいます。どの家もきれいに管理されているが、人が住んでいる気配がありません。そんな新城島ですが、祭の時期には島の出身者が戻って賑わいを見せます。
ヘリポートや防波堤も整備されていて、防波堤建設には6億5千万円の費用がかけられました。

★新城島の宿泊施設★

上地島の港から集落へ向け歩き始めると、すぐ左手に小学校の跡地が見える。 その小学校の先に、他の民家とは全く雰囲気の違う、黄色い柱と淡い青色の屋根の家が見えてきます。 手前には、シャコ貝の殻が積まれた石垣。そして木には大きな飾りがかけられた、新城島で唯一の宿「新城島民宿」があります。ご飯は3食付きますが、アルコールや自動販売機はありません。石垣島で買って持っていったほうがいいようです。部屋は6畳くらいの部屋が2つでふすまで区切られている昔ながらの造りです。

新城島民宿
新城島 上地島
TEL:0980-85-4800


★新城島観光★

道路や家屋はどれもよく整備されており、寂れた感じはしない。普段は石垣や西表に住み、たまに帰省する人も多いとのこと。リゾートホテルの跡地や、昔の牧場、学校など、「離れてしまっても、島を大切に思う」出身者達が、きちんと管理しているのだと思います。


人魚神社 - ジュゴンを祭る。かつてはジュゴンの肉が名産品であった。立ち入ることや撮影は禁じられており、入ると報復を受けるという言い伝えがある。

学校跡・・・昔は賑わっていたであろう学校の跡が上地島にあります。廃校になり既に数十年が経過しているはずですが、良く手入れされており寂れた感じはしません。島民が帰ってきたときにはここで行事が行われたり、現在は日帰りツアーの休憩所などに利用されています。

ヘリポート・・・離島では急患のためにヘリポートがあることが多い。新城島もそうです。定期船がない新城島にとっては特にヘリコプターが生命線となります。いくら人口が少なくとも、年配者が多い島ではなくてはならない施設です。

集落の外れにある廃屋・・・小浜島リゾートホテルの別館「はいむるぶしパナリ」の跡だそうで、相当昔に閉館したそうだが、現在も手入れだけはされています。

パナリビーチ・・・上地島のビーチは砂浜がとてもきれい。背後に西表島が見られます。
石垣や西表からの日帰りツアーはあるものの、やはり定期船の来ない島だけあり、石垣や竹富のビーチと比べ、人出は圧倒的に少ない。でも、それだけキレイなビーチです。川もないのでにごっている事もありません。


パナリビーチの背後にある大岩・・・パナリの海岸線には、荒波で削られ様々な形をした奇岩がいくつもあり、海だけでなく岩を観察するのも楽しいかもしれません。

タカニク・・・ビーチ入口のそばにある史跡。かつては遠見台として使われていた。


ポスト・・・上地島は人口5人、定期船も無い島だが、何故かポストがあった。週に2度、西表から郵便船が来るらしい。

クイヌパナ・・・港の横にある石積の展望台。史跡ですが、現在も展望台として機能している。ここからの眺めはとてもキレイ!クイヌパナからサンゴの海と西表島を望むと、最高です。

下地港・・・下地島は全島がパナリ牧場の私有地であり、その関連会社であるブルーラグーンのツアーで上陸するのが一般的です。

また、新城島にはかつて牛舎であったと思われる廃屋があります。多くの住民がいた頃の名残ですね。下地島にはこのような廃墟や、作業員宿舎と思われる手入れの行き届いた建物がいくつかあります。

パナリ牧場・・・下地島唯一の住人、パナリ牧場のサイロ。かなり立派!島に定住している人は2名とのこと。全島が牧場の私有地であるためか、下地港から牧場までの一本道には、広い草原が広がる。

下地ビーチ・・・下地港のすぐそばにあるビーチ。桟橋の真下にまでサンゴの浅瀬が広がっています。下地ビーチから上地島を望むことができます。下地ビーチは砂浜がとてもきれいです。


★新城島最新ニュース★


新城島に食堂がオープンしました!
観光客らの人気を集めているそうです。
安里眞幸さん(71)と妻の恒子さん(69)の「あさと屋」。漁師の眞幸さんが近海で魚やモズクを“仕入れ”、恒子さんが郷土料理を振る舞います。
2007年9月に営業を開始。
島の歴史や文化について地元住民ならではの話を聞くこともでき、観光客には好評です。
観光客を身内のように受け入れてくれて、オジィとオバァにもう一度会いたいというリピーターもいるほど人気があるそうです。


★新城島の行事★


新城島を心から愛し、大切にしている人々の心を支えているのは、年に四回行われる島の行事。
特にアカマタ・クロマタという神様が島に下りて人々と過ごす六月の「豊年祭」は一番の行事で、住民は行事の一切を語らない秘祭として知られます。
このアカマタクロマタの豊年祭は、西表島の古見、石垣島の宮良でも行われ、どちらも秘祭として、住民以外には語られません。
祭りには石垣や沖縄本島、本土に散らばった島出身者が集まってきます。観光客も来るため普段は静かなこのが五百人以上の人間であふれます。島には三つの神社があり、すべて聖地。氏子以外は住民でも神社の中には入れません。
今も厳格に島のおきてが守られています。

新城島の歴史★

成宗8年(1477年)に朝鮮の済州島の漂流民3人が与那国島の島民に救助された時に、波照間島の次に「勃乃伊島」に護送されたとあり、これが新城島の事とみられる。 その当時、民家は40戸余で、男女ともに青い玉を腕輪や足輪としていた。 また、キビやアワ、麦が栽培されていたが、米は西表島で入手していたそうです。 水田がなかったため、島民は西表島の南風見村に船で通って耕作を行なっていました。

第二次世界大戦の沖縄戦では新城島民は大原集落への疎開を命じられたが、同地でマラリアにかかる者が多発し、1945年(昭和20年)には島の人口255名中、24名が死亡しました。

1955年(昭和30年)頃から西表島や石垣島への転出が増加し、下地島は1963年(昭和38年)に無人島となりました。
1975年(昭和50年)には、長年望まれていた西表島からの海底送水が実現したが、過疎化のため上地小学校は廃校となってしまいました。

<SPONSERDLINK>

新城島のトップへ